たいやきさんは本を読む

臨床心理士・公認心理師の読書ブログ

(499冊目)P.A.アルバート・A.C.トルートマン(著) 佐久間徹・谷晋二・大野裕史(訳)『はじめての応用行動分析』☆☆☆☆

一番気に入ったことば「分化強化手続き」

 

分化強化手続きとは、標的行動を別な行動に置き換えるために用いられる方法です。

多くの場合、問題行動を修正するためにその行動と同じ機能(機能=同じ目的・意味と捉えてください)をもった適応的な行動を身につけてもらうために用いられます。

因みに、「強化」も応用行動分析の専門用語で、行動の頻度や強さを高めるために用いる方法のことです。

つまり分化強化手続きとは、簡単にいうと「別な行動を身につけてもらう技法」のことです。

 

応用行動分析は、心理学の中でも特に学習心理学を基盤としています。心理学を基盤とする方の他、教育分野の方々にも活用されています。発達障害の支援・セラピーの方法としては現在最も信頼されている方略です。

欧米では発達障害児支援の第一選択とされており、アメリカでは半数以上の州で保険適用されています。

 

応用行動分析は専門用語が多く、一般的にはとっつきにくいイメージがあるみたいです。確かに学習心理学を学んでいない方が初見で学ぼうとすると難しいかもしれません。しかしその考え方はシンプルでシステマティックなので、曖昧模糊としたものより科学的でエビデンスベースドが好きな方はしっくりくるでしょう。実際私が職場で応用行動分析を用いた具体的なやり方を他スタッフに教えると、納得される方が多いです。

 

私は会社の後輩とプライベートで勉強会を開催しているのですが、これまで臨床心理学の学びをしてきた方々でも応用行動分析をしっかり学んできた方は少なく、発達障害児支援のためには後輩の方々にも学んでほしいと思い、この本をテキストとして用いました。

 

内容的には基本的な事柄をしっかり学べます。ただし、海外の書籍特有の(理解を深めるための)物語的な記述に抵抗感を覚える人は日本人が書いた基礎本もたくさん出ているのでそちらをお勧めします。

あと、誤植、誤訳と思われる個所がいくつもあります。それ故にわかりにくい表現が散見されます。私自身は元々応用行動分析の知識があったため本来言いたかったことを推理できましたが、初学者にはその点厳しいものがあると思います…。

 

 

 

 

 

(498冊目)木村順『発達障害の子の指遊び手遊び腕遊び』☆☆☆

一番気に入ったことば「強くつかむ、そっとつまむはどちらも重要」

 

他事業所で手先の不器用さや弱さがある子に対して、療育として指先の運動ばかり沢山提供している方がいます。この本でも言及していますが、手先の細かな操作性の為には、手、腕を使って力を入れたりそれらを上手にコントロールする運動遊びも必要になってきます。

ある学校では、書字が乱れている子や枠からはみ出て字を書く子にひたすら同じプリントを繰り返し練習させていたりもします。字を上手に描くためには、指先の運動遊びの他、上記の運動遊びや、利き手とは反対の手の動きがどうなっているか、視覚的な問題はないかといったことをアセスメントし、左右の手を使う課題(遊び)や、目と手の協応課題(遊び)、視空間認知能力を育む課題(遊び)を提供するのがよいでしょう。

 

他、日常的な問題として、「箸を上手に使えない」「ボタン・ファスナーのとめ外しの苦手さ」「(男の子)トイレ時に服が濡れてしまう」「よく物をこぼしたり落としたりする」「指しゃぶりや爪かみがなおらない」「折り紙や積み木が下手で遊びたがらない」「お遊戯や手遊び歌の動作がなかなか身につかない」といったものもあります。学習面でも手指を使った課題があるとそこに苦手さを感じ、嫌いになってしまうこともあります。

 

私の事業所には、発達性協調運動症と思われる子や遺伝子疾患により元々身体機能が弱い子、脳性麻痺のために必ずしも機能訓練を行ったら改善するというわけではない子どももいますが、遊びとして身体を動かすことは、それ自体を楽しむ活動として提供することができるので、2次的な障害を予防するためには良いと思っています。

 

 

(497冊目)木村順(監)『発達障害の子の読み書き遊びコミュニケーション遊び』☆☆☆

一番気に入ったことば「花粉症の人が、杉林で花粉に慣れる特訓をするでしょうか?」

 

発達障害の性質、特に感覚に関する問題に対しては、我慢や繰り返しの訓練が有効でないことを明確に表したことばですね。

 

もちろん、定型発達児(所謂普通の子)には我慢や繰り返しの訓練が有効です。しかし”特別な支援”が必要な子に対してはそれが有効でないだけでなく、そのような子どもを苦しめたり苦痛を与えたりして二次障害を発症する要因になったりもします。

 

この本では、読み書き計算、文章題が苦手、話すことや説明することが苦手、会話が苦手、空気が読めない、ルールに無頓着、模倣が苦手といった問題を感覚統合の問題とし、感覚の能力を育む遊びのヒントが15種類載っています。

 

コラムにて大人が「避けたい言葉」→「いけません!(禁止語)」、「しなさい!(命令語)」、「~しないと!(脅し語)」、「ちょっと!(感情語)」について言及されているのも興味深かったです。それらのことばがけが(発達障害を抱える)子どもにどのような悪影響を与えるかについて言及しています。また、遊びは楽しいことが原則で、強制的な学びになってはいけないとか、発達的視点と療育的視点を踏まえ本人に寄り添うことが必要なことなど、療育を行う者に必要な基本的な態度についても学べます。

 

 

 

(496冊目)木村順(監)『発達障害の子の感覚遊び運動遊び』☆☆☆

一番気に入ったことば「原始系」

 

触覚には本能的な働きである「原始系」と、認知的な能力である「識別系」とに分かれるそうです。

 

「原始系」は触れたものが危険かそうでないかを即座に感じ取る機能を持ちます。感覚過敏は触覚防衛反応が強く出てしまうことによって起こります。

 

「識別系」は、例えば手探りで触ったものの大きさ・形・素材を区別するなど、感覚からイメージを生起させる機能です。

 

定型発達児では、発達とともに「識別系」の機能が向上することで「原始系」の機能が抑えられていくのですが、発達障害児(や所謂グレーゾーンの子)の中には感覚のトラブルによって感覚過敏や感覚鈍麻の状態になることがよくあります。年齢が上がっても親に歯磨きや爪切りをされることを極度に嫌がる場合は感覚過敏の症状かもしれません。

 

他にも、手先の不器用さや運動の苦手さ、姿勢の悪さや落ち着きのなさ、集中力の無さや我慢の苦手さ、行儀が悪かったり音へのこだわりがあったりというのは、単に経験の少なさや本人のやる気の無さといったものではなく、感覚のトラブルが起こっている可能性があるそうです。感覚統合療法を元にした遊びによってこれらの問題が解決する可能性があります。

 

 

 

 

(495冊目)竹内健児『事例でわかる心理検査の伝え方・活かし方』☆☆☆

一番気に入ったことば「心理士が直接クライエントに心理査定のフィードバックを行うことは、専門職として当然の業務と思われる」

 

上記のことばはp.36より引用

p.11フィードバックにおいて大切なことは、伝えるだけで終わらせず、話し合うことである。

p.36種々の検査結果も主治医のものではなく患者のものある…(以下略)

p.120私自身は、原則として、検査結果は家族介護者の方にフィードバックすることにしている。

p.147心理検査結果を本人にフィードバックするということもなおざりにされてはいけない。年少の子どもの場合は別だが、保護者だけのフィードバックになると、児童相談所は大人の味方であり、勝手に大人がことを進めてしまうと感じて反発する子どももでてくる。

…などなどこの本には心理検査後のフィードバックの重要性について多々記載されています。

 

この本は医療心理分野や福祉心理臨床、司法心理臨床や産業心理臨床の現場で働く先生方の事例が載っていますが、どの先生も検査を行うだけでなく、フィードバックを行い、同時に介入に役立てていく流れがあります。

 

私自身も職場で心理検査を行っているので、反省点も含めて検査の実施と介入について色々考えさせられました。

 

また、私の現場では他所での検査結果を共有させていただくことも多いのですが、フィードバックを行わない(診断や受給者証を出すためだけに行っている?)心理士や、数値のみの呈示で説明が全く無いなどフィードバックの重要性を理解していない?若しくは検査結果をクライエント(保護者や本人)のものと考えていない?心理士がいるようです。

私個人の見解ですが、フィードバックを行わない心理検査や、介入に寄与しない心理検査って、検査のもつ能力を十分に発揮できていないと同時に、クライエントに対して失礼に当たるのではないかと思うのです。

 

 

事例でわかる心理検査の伝え方・活かし方

事例でわかる心理検査の伝え方・活かし方

  • 発売日: 2009/12/01
  • メディア: 単行本
 

 

 

(494冊目読了)中川信子『Q&Aで考える保護者支援』☆☆☆

一番気に入ったことば「援助する(つもりの)側の人に多く見られる相手を支配したい気持ち」

 

私の親戚に看護師をしている方がいて、その方は所謂教育ママ的な人でしつけに厳しく「大人の言うことを聞く子がいい子で、大人の言うことを聞かない子は悪い子」という表現をちょくちょくしていました。

 

小学生3年4年生の頃、私は不登校でした。学校に行かない私は、親戚や両親から「悪い子」で「社会的不適合者」、「病気」や「狐憑き」とまで言われました。精神病院に連れていかれそうにもなりましたが、約30年前当時の小学生の私の精神病院のイメージは、恐ろしい精神異常者が行く所(あくまで30年前の小学生のイメージです)だったためかなり拒否した記憶があります。

30年前はまだ発達障害の知識は広く知られていませんでしたが、もし今なら私はなんらかの発達障害精神疾患の診断がついていたのではないでしょうか。

 

その親戚の方は、言うことを聞く自分の子は「いい子で」私は「悪い子」だったようです。直接的にも間接的にも色々言われましたね。

 

学校の先生にもあまり恵まれず、小学生当時の私の主観では、子どもを統制・支配することに喜びを感じる方ばかりでした。不合理な理由で叩かれたり、行動を強制されたりすることが多かった印象です。これも30年前は体罰は正当な教育だったため、当たり前のように行われていたという社会的背景があります。

私はその当時から自分に対する体罰も他者に対する体罰も許せなかったです。

 

上記のような経験等から、私は対人援助職を生業とする方には多かれ少なかれ自分の優越感や統制・支配欲のために、弱い人々がいる環境に身を置くことでそれらの欲求を満たそうとする人がいるのだと確信しています。

 

著者の「援助者の支配したい気持ち」への言及があったことに共感したと同時に、はたしてそのような気持ちを振り返られるセルフモニタリングができる対人援助職の方はどれだけいるだろうかと疑問に思い恐ろしくも感じました。

 

 

この本はQ&A方式で、療育・教育現場で保護者支援や保護者対応をする方の質問に著者が答える形式で話しが進んでいきます。

 

著者の幅広い経験と学識による回答はもちろん、著者の常識と柔軟さ、優しさや軽やかさも伝わる文面に、私自身読んでいてうなづいたり考えさせられたりすることが多々ありました。

 

Q&Aで考える保護者支援:発達障害の子どもの育ちを応援したいすべての人に

Q&Aで考える保護者支援:発達障害の子どもの育ちを応援したいすべての人に

  • 作者:中川信子
  • 発売日: 2018/04/16
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

 

 

 

(493冊目読了)東畑開人『居るのはつらいよ ケアとセラピーについての覚書』☆☆☆☆☆

一番気に入ったことば「依存労働」

 

昨年秋くらいから余暇時間を携帯ゲームに吸われて本を読むスピードが落ちてしまいました(>_<)ので久しぶりの投稿です。

この本は、著者が精神障害者デイケア施設で働いた経験を元に、エッセイ形式でケアとセラピーについての考察を行う内容になっています。

非常に軽快な文章で、時折著者が自分自身を俯瞰するような場面もあり、最後まで楽しく読めました。

医療・福祉分野で働く臨床心理士(や公認心理師)は、現場において多かれ少なかれケアとセラピーの区別や統合、そしてその狭間について悩むことがあるのではないでしょうか。

私自身児童発達支援・放課後等デイサービス事業所で主に発達障害の子らの支援を行っているので、著者の現場とかなり類似した部分が多く、心理臨床の専門家としてこの会社に入ったのに、やってることは殆どサイコセラピー(心理治療)とは異なることに違和感を覚えながら日々仕事をしています。

勿論、私が提供する療育活動はセラピーの時間だし、保護者面接では心理検査やカウンセリングの技術を発揮することもありますが、それらは仕事全体の中ではおまけみたいなものです。

私の働く事業所は知的障害の子が多く日によっては10人中9人と十分な言語コミュニケーションができないなんてザラです。毎日無力感を覚えながらの仕事ですよ(>_<)

 

…単なる愚痴ですね

 

この本を読んで、もやっとした不全感に名前を付けることができ、少し救われた部分もあります。気に入ったことばの「依存労働」とは、誰かにお世話してもらわないとうまく生きていけない人のケアをする仕事です。これは専門的な仕事とは反対に位置する労働とされる。それ故に私自身依存労働をさせられている感覚に「心理臨床の専門家とは…」と葛藤することが多かったと思われます(依存労働が嫌なわけではない)。

また、著者が考察していた、枠のない中でのセラピーもどきの副作用、動く前に考えることが癖になっているので、問題が起きた(起こりそうな)場面で心理士が他のスタッフよりも動作が2呼吸遅れてしまうこと、セルフモニタリングを学んできた著者と看護師の方々との利用者への向き合い方への違い、遊びの治療的効果、職員へのケアが不足していることなども私自身仕事で同じように感じたり考えたりしたことだったので、著者と共感的対話ができたことによるセラピー的な効果があったかもしれません。

 

ただ、私個人はセラピーとケアは必ずしも対比されるものではないと思います。というのは、ケアには身体的なケアや生活上のケアの他に、心理的なケアも含まれると思うからです(著者はこれらを一括りにケアと呼んでいる)。そして心理的なケアは心理臨床の知識・技術を大いに発揮できるし、セラピーを行う中で同時進行で行われる必要のあるものです。

 

また、著者は2017年からカウンセリングルームを開業し、心理臨床家としてセラピーに特化した仕事を生業としています。それはケアの否定なのでしょうか。心理臨床家はセラピーに従事するべきだという著者の答えのような気もします。

 

専門家としての自分と現場の仕事との間に葛藤がある臨床心理士公認心理師の初学者には是非読んでいただきたい一冊です。