たいやきさんは本を読む

臨床心理士・公認心理師の読書ブログ

(515冊目)土井健郎『新訂 方法としての面接 臨床家のために』☆☆☆

一番気に入ったことば「関与しながらの観察」

 

関与しながらの観察とは、面接(interview)の中で、面接者が被面接者を観察するのと同時に、被面接者も面接者を観察しているのだという視点を表す言葉です。

inter+viewは相互の視点という意味なので、日本語の面接と英語のinterviewでは意味や印象が変わってきますね。

心理臨床の専門家は一般的な面接と心理面接が異なることを基本として学びます。

 

臨床心理士すべてが学んでいるかはわからないですが、私は、上記の関与しながらの観察について、院時代の先生からセラピスト(面接者)としてクライエント(被面接者)を観察する視点の大切さと同じくらい、セラピストがクライエントにどう見られているのかを考えなさい。と教えられました。

それは敷衍して、セラピストが伝える言葉が相手にどう捉えられるかと同時に、相手が言った言葉が何を伝えようとしているのかを考えることでもあると思いました。

加えて先生は、第三の視点を持ちなさいとも言いました。セラピストとクライエントが対峙し面接している場面を天井から見るように、そのやりとりを客観的に観察せよ、と。

プロの臨床心理士は、約1時間の面接の間に自分の視点と相手の視点、そして観察者の視点の3点を同時に頭に入れながら言葉を紡ぐのだなぁと、当時その技術の難しさと面白さに感動したのを覚えています。

 

また、この本では日本語の「共感」と英語の「empathy」、その元となったドイツ語のEinfūhlenの違いについても言及しています。

私は院時代に共感とは何かを自分で調べていて、同調や同情とは異なることを学びました。この本でも言及されていますが、日本語の共感には、同情心を含む「思いやり」や相手に自分の想いを投入する「思い入れ」も含まれます。

 

一方で、enpathy(Einfūhlen)は、「気持ちを汲む」や「察する」という意味になります。これは普通の人なら日常的なものなのですが、Freud曰く、それをどう扱うかが心理面接のキモとなってくるようです。

 

因みに相手の気持ちに同情や同調しすぎる人は(相手の悲しい体験を聞いてすぐに泣いてしまう等)臨床心理士には向いていないらしいです。

 

この本は初版1977年でかなり古い本です。当然臨床心理士はまだ日本に存在していません(臨床心理士第一号は1988年)。私がみるに土井健郎は精神科医に向けてこの本を書いているようです。なので、心理面接の専門家には以前にあげた熊倉伸宏の『面接法』の方がお勧めです。

 

臨床心理士は現在医療分野に限らず、福祉、教育、産業分野等幅広く活躍していますが、元々は精神医療の専門家として始まってます。その基盤の部分を学ぶには役に立つ本だと思いました。

 

方法としての面接―臨床家のために

方法としての面接―臨床家のために