映画ものろーぐ「バベル」

リアルに不安になる状況に不快感。


多くの批評家がこの映画のテーマの「言葉の乖離と齟齬」に着目します。


確かに、異国での言葉の違いや、あるいは聾唖者をモチーフとしたコミュニケーションの差異など、それらを強調する場面が多々あります。


バベルという言葉から僕が意識し過ぎているのかもしれませんが、実はそれらは文化的な違いによる違和感でもあります。


また同時に、文化や言葉の理解があったとしても、終盤の乳母と警官のやりとりなんかを見ると、言葉や理解している事実が同じなのに、主張が食い違うという場面から、他者との間にあるコミュニケーションの齟齬でもあるように思えるのです。


加えて、社会(政治)と個人との差異を表現している場面も見受けられます。


とにかく終始不協和、不調和、コミュニケーションの乖離が強調され、不快な気分に陥ります。


それらの感情は、ある意味現実の中で目を背けたくなる状況です。


物語も終盤になってくると、視聴者自身が誤解をしていたことに気付かされます。


テーマをあまりにも強調し過ぎているからかもしれませんが、これほどまでに不快な状況にはなかなかならないものです。


実際は、人はわかり会えないという前提の中でわかりあおうとし、わかりあっているつもりで安心し、少しだけわかりあえたことに喜びを感じる。のではないでしょうか。