田舎に住んでいた頃は、ばあちゃん(育ての親)が畑で野菜を作っていました。
幼少の頃、たまに畑仕事のお手伝いをしていました。
春にはアスパラガスや苺、夏には大好きな西瓜にトマトや茄子や胡瓜、秋から冬にかけて葱や人参、大根に白菜と。果物では春に梅、夏に枇杷、秋に栗や柿が豊富になっていたものです。それらを採取するお手伝いをよくしていたものでした。
その場で食べられるトマトや胡瓜は、おやつ代わりに獲ったその場で食べていた記憶があります。
苺やトマトなんかは、今スーパーで買える品種改良を重ねた甘いものではなく、かなり酸味が強かったと思います。
だけど、それらを摘んですぐに清水ですすいで食べると、なんとも言えない瑞々しい心地よさが口いっぱいに広がり、それはのどを通って自分の一部になっていくような感覚だったと記憶しています。
あの頃食べていた野菜が、今の自分を形成しているようにも思えます。
どんなに美味しく品種改良した食材も、どんなに精魂こめて作った有機栽培、無農薬栽培の野菜も、あの頃の思い出の味には敵わない。
身近な人が作った(僕にとってはばあちゃんが作った)命の糧は、何物にも替え難い贅沢だった。
懐かしい記憶は、香りと共にやってきます。