昨日読了[257冊目]永井均『転校生とブラックジャック 独在性をめぐるセミナー』☆☆☆☆

一番気に入ったことば「ぼくには、確かに哲学的な問いはあると思うけど、どうも哲学的な主張というものがないんだ。」



最近周囲の知人に哲学的論題を提供することがあるのですが、あるいは誘因しようとしても、話始めに直ぐ呆れられるか、あるいは議論に入る前に拒否されてしまいます。


寂しい限りです(;_;


哲学が既に存在する知識を呈示するような他の学問と同等にみなされてしまっているが故に、「前提とする知識が無い私にはわからない」→わからないことは恥だ。という拒否反応がでてしまっているからではないでしょうか。(いや、それすらも僕にはわからないのですが)


この本は13人の哲学する者達の議論で話が進みますが、話の外側からみると著者独りの孤独な闘いでもあります。


しかしこのような議論の場を持てるのは理想です。あぁ、浦山。


もしかしたら別な大学ではこの本にでてくるような哲学に意欲的な学生が多くいるのかもしれませんが、僕の大学では稀な存在ですね。


この本では、永井均は文豪とも賞賛できるように(西洋)哲学を現代と日本に照らし合わせて「物語」を構成しています。


しかし、この「物語」に誘因させられるか、あるいは外側から見るかによって読後感は変わってくるでしょう。


僕はどちらかというと後者でした。


僕の独在性は繊細な孤独感と結びつきます。


強い言い方をすれば恐怖、弱い言い方をすれば寂しさです。


これは僕の中で根源的なものです。


僕はこれを解消したいがために、「死の肯定(意味づけ)→それは生の肯定へと繋がる」や「意識の拡張性という考え」や「倫理、道徳を基盤として他者を捉えようとする姿勢」、「人生の肯定(幸せ)」などが自分の心に構築されたのだと思います。




…知識や理性だけでなく、感性で哲学を語ってもいいと思います。


そこに「私(我・僕・etc...)」があらわれるのです。