本日読了[178冊目]福田和也『江藤淳という人』☆☆☆

一番気に入ったことば「批評というのは一般性に還元できない」



以前に読んだ『哲学ディベート』第五章「自殺」について、江藤淳の自殺を諒とすべきか悩んでました。


臨床心理、精神衛生といった立場からは否定せざるを得ないのですが、ただ否定するには腑に落ちない思いもありまして。


この本と、現在進行形で読んでる自殺に関する本でいろいろ考えさせられました。


カントは倫理的に自殺は犯罪とし否定しています。自殺は主体である人格をもつ自分を謀殺する行為であるとします。


デュルケムは自殺を非社会的要因と社会的要因に分けています。


僕は自殺を

①倫理的であるべき社会的な存在としての人間の行為

②非倫理的な事由による半不可避行為

の二つに分けることによって葛藤を解消したいと考えました。


①であれば主体保存の義務、群発自殺の防止、社会構成員の保護といった観点によって自殺を否定。僕の価値観はどちらかというとこちら側に傾倒していると思います。


②であれば、芸術的自己実現、自殺行為への問題提起、故人の意志の尊重。僕はこれらに存命より価値をもつ場合もあると考えます。これらは能動的な側面をもち、短絡的な生からの逃避は除かれます。




『哲学ディベート』に載っているような問題群はその問題の中にパラドクスを内包しているように思います。


実は問題を整理し分離したり、問題の根底にどのようなものが含まれているのかを考える方が大事なようです。


『哲学ディベート』については昨年12月1日の記事を参照してください。



江藤淳という人

江藤淳という人