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臨床心理士・公認心理師の読書ブログ

今日の心理学用語13「偏見」

「偏見」 (prefudice)



「特定の集団に対する否定的な感情と認知のこと。否定的な態度での行動に意味を限定したものは差別という。ステレオタイプというと否定的な感情と認知だけでなく、肯定的な感情と認知をも含む。

偏見の形成として考えられるのは、偏見を持つ身近にいる重要な他者からの社会的影響があげられる。また限られた資源をめぐる集団間競争において、敵対する外集団への攻撃を正当化するための偏見が生じる場合もある。他に欲求不満の蓄積、差別条項の設定、誤った関連付けなどが要因としてあげられる。

偏見は容易に解消できない。注意深く相手を中立的に判断することや偏見を制御する努力意識が必要不可欠である。しかし、心の中で差別に反対していても、言動に表さなければ、差別を黙認し、消極的肯定をすることになる。集団内の偏見をもつ影響力のある人物の欲求不満が解消されると自然消滅する可能性がある。また、集団が共通目的のために協力することにより、集団間の葛藤が解消されたり、偏見対象との相互関係を深めることにより解消されることがある。」



大学で教養を学ぶ目的の一つには、この偏見を無くすというものがあります。教養科目の履修には幅広い知識を学び、視野を広くするという名目がありますが、実際機能しているのかは疑問です。

学習の根源的目標は心を育てることだと僕は信じてます。残念ながら表面的な手段ばかりが価値あるものとして取り上げられ、教養の本意が形骸化している気がするのです。

点数を取ること、単位を取ること、大学を出ること、何の意味があるのだろうか。教員も、作業させること、知識を詰め込むこと、単位を取らせること、何の意味があるっていうのさ。

有機的活動をしているだけのロボットが大量生産されているようでぞっとする時がある。そして大きな流れの中に身を委ねることができない自分にも。



…このような否定的態度が表れたら偏見と疑ってかかることが必要だと思う。